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夢見ていたスウェーデンでの生活がついに始まりました
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真面目な話の続き・・・

■■■

1940年代に入っても住宅不足は改善されず
効率化がさらに重視され”punkthus”と呼ばれる
高層のアパート(8-9階)が建てられるようになりました。

 
(Västra skogen punkthus)


縦長の建物はエレベーターが一つですむし、
どの部屋にも光が入りやすいということで、人気に。
またこの当時、世界的に広まったルコルビジェの著書
【輝く都市】で言われているような考え方も影響している
と言われています。どういうことかと言うと、
公園の中に建物が存在しているという構図。
つまり建物の敷地面積を減らし、その分階を増やし、
上へ延びて行く事で、周囲の自然環境をできるだけ
確保することができる、という考え方です。
日本の団地もこういう意図のもとに建てられたはず。

この考え方は自然が多くのこされている
ストックホルムに新たに住宅地を建設するにあたって、
受け入れやすい考え方で、建物が緑に
囲まれている環境は好まれました。



(Gärdetエリア。この時期に建てられた典型的なエリアの一つ。
低層とpunkhusが混在し、さらに建物の間に多くの緑地が確保されている)
*写真がみずらいのが申し訳ないのですが…


他にもこのpunkthus型のアパートは遠くからでも
目立つのでストックホルムのいたるところで
見られます。低層のアパートややたら長いアパート
と一緒に建てられていることが多いかも。
いいアクセントになるのかな。

この辺りまでの都市計画は今でも比較的、
批判が少ないように思います。
でもこれでも住宅不足は解消されず
さらに先へと進んで行きました。

ということで、1930年代の建築、都市計画が
Folkhemmetの政策に影響を受けたというのが
つまりはどういうことかと言うと・・・

■■■

この時期は仕事を求めて人が集まり
都心部では住宅不足が問題になってました。
これはとりわけ地方から出稼ぎに来た
賃金の安い労働階級の人々にとって深刻で、
既存の高価な住宅を手に入れる事はほぼ不可能。
そのような中、平等主義の考え方に基づいて
労働階級の人々にもアパートが手に入れられるように
ということが一つの大きな目標とされたようです。

それと同時に、現存する住環境の老朽化、
非衛生的、狭くて暗いという問題点も上がってきており、
住宅、さらにはデザインにおいても機能的であり、
衛生的であることが重要視されるようになりました。
つまり、どの部屋にも十分な日光が入るように
建物間の距離が考慮されるようになったり、
窓の位置や空調による新鮮な空気を
取り入れやすいように考えられたり、
緑地へのアクセスも確保されるように設計された。

 
(Fredhäll:住宅地の近くに同時期に公園も作られ、住人が簡単に利用できるように考えられていた)

以上のことを踏まえて
建物の特徴としてはエレベーター設置を避けるために、
最高でも3階建てのアパートが東西の方面に面して、
一定の間隔を確保しながら平行に建てられました。

 
(Telefonplan:エリア内に似たような建物が連立している)


また、経済的という観点からはこの時期に
立てられたアパートはそれ以前と比較すると
部屋の数も延べ面積も減り、さらに短時間に
効率的にアパートを建てることが要求され、
内装から建築自体も規格化されるようになった。

  
(Fredhäll:キッチン+リビングルーム+ベッドルームというそれまでの大家族向けから少人数向けの部屋割りが主流に)


1930年代に建てられたアパートは”funkis”と呼ばれ、
機能的、衛生的、そして経済的いうことが特徴。
その後、特徴のない画一化された建物が
批判の対象にはなったけれど、いまだに
この頃建てられた住宅地は、ちょっと
ノスタルジックな感じもあり、スウェーデン人には
比較的良い地域と認識されているようです。

私も一時期、Fredhällに住んでいた事が
ありました。地下鉄の駅も公園も緑地も
近くにあり、とても住みやすい地域でした。
でも夏になると最上階ということもあって
すごく暑くなったのと、冬は結構、
部屋の中が暗くなった記憶があります。
とはいっても、また住めるなら住みたい
アパートの一つだな。



都市計画というのは、やっぱり社会の流れ
とか、人の考え方に強く影響されていて、
そういう話を交えた方がわかりやすいと
思うので、そういう一般的な話から。

前置きですが、これは私が今まで
読んだ本とか人から聞いた話とか
自分が住んで感じる事を元に書いているから
そーなんだ、くらいに聞いてもらえるといいかな。


もともとスウェーデンは自然環境も厳しく、
農業を中心とした貧しい国でした。
1900年代にヨーロッパで工業化が進む中で、
国力をあげるために人、一人ひとりを重要な資源
ととらえるようになっていき、これがつまり
スウェーデンが高福祉社会になって行った原点。

その後1930年代に社会民主度労働党が政権をとり、
平等を強く訴えたFolkhemmetと呼ばれる政策が
とりいれられ人々の生活様式、デザイン、建築
そして都市計画にまでこの考え方が強く
影響し、今に至っているのだと感じます。

国民一人一人を重要な資源と捉えると言う考え方から
女性もまた重要な働き手であると考えられました。
そのために早い時期から男女平等が
重要視されるようになり、また男女ともに働けるような
環境づくりを考えたところ、託児所、保育園の必要性、
また高齢者向けのサービス、施設の設置も
重要視されるようになっていったようです。
つまり、働き盛りの年齢の人々を家事に従事させ、
その能力を生かせないのはもったいないことであり、
そういったものも国全体でシステム化させ、
専門的な能力を持った人に任せる方が効率的だから。

また似たような理由から、個人一人一人の存在、能力を
重視し、国全体で個人を支えるようなシステムを確立させ、
一人でも生きていけるような社会づくりを目指した。
そのために、離婚しても一人で子どもを育てて行く環境は
整っているし、老後も福祉システムを利用し、施設に入り、
自分一人でもやっていくことができるようになっています。

平等主義の考え方もこの当時、言われるようになりました。
工業化が進み、貧富の差が激しかったために、すべての
国民が同じような生活を手に入れる事が目標とされていました。

こういう事実があったことを頭に入れると
スウェーデン人がなぜ個人主義と言われるのかが
納得いくように思えます。そしてこの政策が、今まで
上手く言っているから、スウェーデン人は自然と
この考え方に沿っているのだろうな、ということも。

1930年代というのは、この政策のもとに、
さまざまな分野で影響があり、都市計画においても
転換期であったと言えます。その詳しい話はまた次に。




 


あまり人に言っていなかったのだけど、
日本の大学生時代、学部の卒論を私は
‐スウェーデンデザインのイメージが成立した背景について‐
という、ランドスケープとも都市計画とも
ぜーんぜん関係ないテーマで書いていました。
こんなテーマ、学部はよく許してくれたものだ
と今になって本当に思いますが…

最近、調べものがあって、ふとこれを思い出し
久しぶりに読み返してみました。
学部的にだいぶ的外れではあったけど
的外れなりに調べてあって、日本にいながら
少ない情報の中、よく書いたものだと思いました。
2006年に書いていて、これはイケアが
オープンするちょっと前、今よりも
スウェーデンの知名度が低かった時に
スウェーデンの高福祉、環境への取り組みが
バックグラウンドにあるデザインに対し、
これから日本でも受け入れられ、流行る
というよりも日本の生活に馴染んでいくのでは、
みたいな事が書いてありました。

あの頃に本や雑誌、聞いて得た情報から
書いたものが、スウェーデンに暮らして数年が経ち
実際のスウェーデン人の考え方、生活に確かに
見られるものがあり、なんか面白かったです。
その当時はやっぱり、ポジティブな面が多くて
今はさらにその先の事まで考えるように
なったのだな、ということも気がつかされました。

それと、今通っているスウェーデン語の授業を
通して、スウェーデンの歴史とか背景とかにも
また触れる機会があって、本を読んでみたりして
論文の時に調べたような一般に言われる
スウェーデンのイメージと、大学院時代に
学んだ都市計画の歴史とか、暮らしていて
感じる人々の考え方とか、バラバラに頭の中に
あったものが少しずつ繋がり始めました。

こういう事は感じた時に書きとめて
まとめておくのが大切だと思うので
時間がある時に、アップしていきたいと
思います。文章が長くなってあまり面白くない
かもしれないけど、興味のある方はぜひ。

いつもスウェーデンの良いことを書いているのでたまには問題点を。
前回の続きにもなるけど、私は中心部を対象地にしています。
ここはストックホルムでも色々な機関が集中し大切な場所。
にも関わらず都市計画上、問題の多い場所でもあります。





1960年代にいわゆる近代都市を目指し、再開発が行われました。
この写真はその時に造られた地下自動車道を建設している時のもの。
建物が完全に壊されて、以前の都市構造が新しいものに
完全に作り直され、今の中心部ができあがりました。
簡単に言えば、車にやさしい都市計画が優先されて
歩行者、人がどう街で過ごすかがあまり配慮されなかったのです。



    

そのため、まず問題なのが、車。地下道と地上の出入り口が
いくつかありますが、歩く場所がなく、とても怖い。。。
左の写真の奥に見えるのがその出入り口。



   

街中を気を付けて歩いていると車が本当に多い!



  

これは中央駅から水辺もしくは市庁舎に向かう道。
市内を出て他へ行く自動車道がものすごい存在感。
市庁舎を絶賛しているストックホルムだけど
そこにたどり着くまではなかなか大変なんです。




 

次に問題なのが、近代建築が作りだす暗いイメージ。
歩行者天国にも関わらず、お店があるわけでもなく
入口さえもない、ガラス張り、コンクリート、金属のファサード。
どこも似たり寄ったりで歩いていても楽しくない。
こういう空間に人はなかなか寄り付きません。



 

最後は高低差によって作られた橋と階段。
これが結構わかりにくく、歩いているといつのまにか
上のレベルにいたり、階段を通るはめになったり。
もともとの地形からくるものだから仕方ない
といえばそうなのかもしれないけど、複雑です。


もっと詳しく書けばいろいろあるのですが。
他の都市とか東京に比べればこんなのは問題ではない
かもしれないけれど、こういった点がヨーロッパの都市では
問題とされていることのようです。



前回と今回のブログを読んで、ストックホルムについて
前よりもわかったとか、こんなこと知らなかったとか
それでもやっぱりきれいな街だと思うとか
逆にわかりにくいとか何かコメントをいただけたら
参考になるし、とーっても嬉しいです。
なんでもいいから、どうぞヨロシク☆
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プロフィール
HN:
あっこ
年齢:
40
性別:
女性
誕生日:
1984/01/11
職業:
ランドスケープアーキテクト
自己紹介:
ストックホルム工科大学(KTH)での2年間の留学を経て、ランドスケープアーキテクトとしてストックホルムにて働いています。
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