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夢見ていたスウェーデンでの生活がついに始まりました
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都市計画というのは、やっぱり社会の流れ
とか、人の考え方に強く影響されていて、
そういう話を交えた方がわかりやすいと
思うので、そういう一般的な話から。

前置きですが、これは私が今まで
読んだ本とか人から聞いた話とか
自分が住んで感じる事を元に書いているから
そーなんだ、くらいに聞いてもらえるといいかな。


もともとスウェーデンは自然環境も厳しく、
農業を中心とした貧しい国でした。
1900年代にヨーロッパで工業化が進む中で、
国力をあげるために人、一人ひとりを重要な資源
ととらえるようになっていき、これがつまり
スウェーデンが高福祉社会になって行った原点。

その後1930年代に社会民主度労働党が政権をとり、
平等を強く訴えたFolkhemmetと呼ばれる政策が
とりいれられ人々の生活様式、デザイン、建築
そして都市計画にまでこの考え方が強く
影響し、今に至っているのだと感じます。

国民一人一人を重要な資源と捉えると言う考え方から
女性もまた重要な働き手であると考えられました。
そのために早い時期から男女平等が
重要視されるようになり、また男女ともに働けるような
環境づくりを考えたところ、託児所、保育園の必要性、
また高齢者向けのサービス、施設の設置も
重要視されるようになっていったようです。
つまり、働き盛りの年齢の人々を家事に従事させ、
その能力を生かせないのはもったいないことであり、
そういったものも国全体でシステム化させ、
専門的な能力を持った人に任せる方が効率的だから。

また似たような理由から、個人一人一人の存在、能力を
重視し、国全体で個人を支えるようなシステムを確立させ、
一人でも生きていけるような社会づくりを目指した。
そのために、離婚しても一人で子どもを育てて行く環境は
整っているし、老後も福祉システムを利用し、施設に入り、
自分一人でもやっていくことができるようになっています。

平等主義の考え方もこの当時、言われるようになりました。
工業化が進み、貧富の差が激しかったために、すべての
国民が同じような生活を手に入れる事が目標とされていました。

こういう事実があったことを頭に入れると
スウェーデン人がなぜ個人主義と言われるのかが
納得いくように思えます。そしてこの政策が、今まで
上手く言っているから、スウェーデン人は自然と
この考え方に沿っているのだろうな、ということも。

1930年代というのは、この政策のもとに、
さまざまな分野で影響があり、都市計画においても
転換期であったと言えます。その詳しい話はまた次に。



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プロフィール
HN:
あっこ
年齢:
40
性別:
女性
誕生日:
1984/01/11
職業:
ランドスケープアーキテクト
自己紹介:
ストックホルム工科大学(KTH)での2年間の留学を経て、ランドスケープアーキテクトとしてストックホルムにて働いています。
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