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夢見ていたスウェーデンでの生活がついに始まりました
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最近、ひとりごとばかりのブログなのは
いまだに私は考え中だから。
でも少しずつ前には進んでいて
少しずつ気持ちの整理がついてきています。

日本が、宮城が、仙台が・・・とパニックに
なっていて、自分に何ができるのかとか
人のため、地元のため、と簡単に出る訳のない
ことで頭がいっぱいだったけど、気がつきました。
私にできることなんてほとんどない。
自分はそんなにすごい人間ではない、ということ。

でもそれと同時に、家族のためになら
できることがたくさんあるってことも気がつきました。
まずは根元から。自分が元気になって
こんな時だから、家族のために動く。
そしたらその先は繋がる時は、どうにでも
繋がって行くと思います。これは今までの経験上。
必要とされる時は必ず来るから、と言ってくれたのは母親。
だから今は焦らないで、その機会を探りながら
待つのが一番だと思いました。

スウェーデンは先週末からサマータイムになり
日に日に明るくなって来ています。まだだいぶ寒いけど。
そして明日、いろいろな事情によって引っ越しをします。
今回は急すぎたのもあり、さすがに家を見つけることができず
日本人の友だちの家に居候決定。
それはそれで楽しくなりそうだし、新しい生活が始まるし
4月だし、春も近いし、穏やかに時間が過ぎて行くといいな。



って厄年ではないよね・・・?
今年の誕生日を迎えてから、何かおかしい・・・


今はもっと大変な状況の人がたくさんいて
それに対抗したい訳でも、不幸自慢をしたいわけでもないけど
自分にとって今の自分の状況はそれなりに大変で。。。
一本立てでも十分成り立つようなことが
二、三本立てでやってきているという感じ。


私の頭の中には今、三つの異なる世界があって

-テレビ等で繰り返される地震で大打撃を受けた日本
-現実に過ごしている普段通りのスウェーデン
-家族のいる仙台

この三つがうまく折り合いをつけてくれない。
とりあえず、少しずつ整理して、消化して
答えを出せて来ているのだけど、そろそろ大丈夫かな
と思うと、新たな話がやってくる・・・。
これはいったい何なんだろう。

負のオーラを出していると、マイナスなことを
ひきつけてしまうのかな・・・。
だからと言って、今、いきなり元気にはなれないよ。



周りが辛い中、頑張って作る笑顔を見ていると
自分も笑顔でいなきゃ、と自然と笑顔になるけど
周りが何も考えずに能天気に笑っていると
自分は逆に笑えなくなってしまう。



これはもしかして、スウェーデンに長く居過ぎたからなのか
すでに帰国の時期を私は逃してしまっていたのか…
そんな疑問が頭の中をグルグル回る。
だいぶ手荒だけど、帰国の方向にしむけられている
そんな感じがしてならないです。それに抗って
無理やり追い出される前に、自分から手を引きます。


私、日本に帰ります。


今、母親と毎日メールで連絡を取っています。
家族に対して私にできることはそれぐらいだから。
それに仙台の今の状況を知ることができるし。
母から送られてきた写真を今回はアップします。
ニュースではあまり流されない実際の生活。


仙台の街中の被害、私の地区の被害はそれほどではありません。
でもそれは津波の被害にあった場所に比べれば、の話。
もちろん、人命に関わることから援助を始めるのは当然だけど
普通規模の地震であればこれだって十分非常事態だと思う。


 

この様な破損は各所で見られるそうです。



 

仙台駅の損傷は結構大きいようで、電車もまだ復旧されていないとか。
でも主要な区間の復旧めどは立っていて、来週からでも少しずつ運転再開されるみたい。
そして休業が続く大手デパート、スーパー。
コンビニはセブン、ローソンは開いているとこが多いけど
ファミリーマートはほとんど閉まっているとか。そんな景色想像できない。

 
 

ガソリンのために並ぶ車の長蛇の列。こんなのは市内各地で見られるそうです。
それと買い物のために市街地のダイエーの前に並ぶ人々。
でも今はもうスーパーでは並べば、買い物はできると言ってました。
これは東日本どこでもこんな感じなのかな・・・?




それと同時にみんな助け合いながら復興を始めていて
牛タン屋さんでも地震の次の日に、しばらく営業ができないことを
見越してか、牛タンを無料で配布とかしてたらしいです。
ちょっと仙台っぽい話。そう、これは仙台で起きていることなんです。


地震から二週間が過ぎ、少しずつ被害のなかった人の中から
その記憶が薄れて行きます。スウェーデンにいたらなおさら。
先週はもう会社では地震について話すことはほとんどなかった。
でも、今からが被災地は本当に大変になってくると思います。
ちょっとした被害の状況もだんだんと分かって来るし
冷静になってこの先どうなるのだろうと考え始めたり
二次的な間接的な被害もこの先起こるかもしれないし、
人々の我慢の限界も近づいてくる。それまでにどうにかしないと。

そして皮肉にも今年のこの時期は寒いようで
まだ積もるほどに雪が降ったりもしています。
寒いのに石油ストーブが使えない、車が使えない、
お風呂に入れないし、暖かいお湯を沸かすのも一苦労。
贅沢なレベルの話かもしれないけど、それでも大変だと思う。


だからと言って私がシャワーを浴びないようにとか
暖かいものを食べないとか、そんなことは意味がないから
しないけど、まだまだ被災地がそういう状態である
ということを少なくとも忘れないでいたいと思います。


最後に、母親の同級生が関わっている復興支援団体を紹介します。

http://www.mintsuna.net/index.php

母の実家は岩手で、昔は祖父の仕事の関係上
岩手の各地を転勤して回っていたそうです。
だから今回、被害の大きかった海岸沿いにも住んでいたことがあり、
母や祖父母の知り合いではまだ連絡が取れない人もいるようです。

みんなまだまだ頑張っています。
だから少なくともその状況を追いかけていよう、
忘れないでいなきゃいけない、そう思っています。







祈りを込めて、自分の気持ちを込めて、ひたすら鶴を折りました。
そして昨日、募金活動に参加して、その鶴を配りました。
何かしていないと気持ちが落ち着かないし、半分以上は自己満足のため。


今回の地震は、「日本で大地震が起きた」という事象ではなく
「日本を助けよう」という抽象的なものでもなく
家族、たくさんの友だち一人ひとりの顔と自分の行ったことのある
思い入れのある場所が目の前に現れる、具体的で感情的なもの。
連絡の取れる範囲で、みんなが無事であってくれたことは
本当に感謝しないといけないこと。そしてみんな頑張ってる。

昨日、家族、友だちと電話をすることができました。
電話の向こうは思ったよりも普通で、冗談を言って、笑って
今の状況に文句を言うでもなく、落ち込んでばかりもいられないし
いたって普通にしてようとしているのが分かりました。
でも会話の節々から漏れてくる不安とか恐れとかも伝わってきて
みんな頑張って、それなりに楽しくいよう
としているのだと言うのもわかりました。
そしてみんな口ぐちに「それでも私たちはましな方だから」って言うし。
「私たちは大丈夫だからあっこもそっちで頑張りな」と言ってくれる。


今回の地震で気がついたことは、自分がどれだけ
家族、友だち、帰れる場所というのに支えられていたかということ。
帰れる場所があるから、いつでも帰っておいでと言ってくれる
家族と友だちがいるから、ここで自由なことができていたということ。
それを失うかもしれないと思った時、私はここでは普通に
生きて行くことなんてできないと思いました。
失う前に気がついてよかった。


状況や置かれた立場が同じでも感情は人によって違う。
私は自分が思っていた以上に、家族、友だち、地元が大好きで
そこに対する感情があるのだと言うことに気がつきました。
だから、今、すごく辛いし悲しいし不安だし、もどかしい。
そして今回の地震で自分が思っていた以上に、
私自身がダメージを受けているよう。
みんな頑張っているから自分も頑張らなきゃと思っていたけど
まずは自分が悲しいこと辛いことをちゃんと認めて
全部出し切ってから、自分を立て直さないとダメだ
ということに気がつきました。
この地震は今まで経験のしたことのない規模のもの。
そしてそれは私個人にとっても同じだから。
みんなにできるからと言って、自分にできるとは限らない
ということを受け入れないと。


でも人は時間が経つと、いろんなことを忘れて行きます。
ましてや離れたスウェーデンにいたら、後一週間もしたら
このニュースはみんなの中で薄れていくと思う。
そんな中にいて、自分も同じように今強く思っていることを
薄れさせたくはないです。また何か起きた時に同じ思いはしたくない。


また私は引っ越しをしないといけないのだけど
日本に帰ることを念頭に置いて準備をしたいと思います。



感情的な自分と冷静な自分。
この二つが入れ替わり出てくる、そんな毎日。


感情的な自分は毎日泣いているし、本当は
すぐにでも日本に飛んで仙台に帰ってみんなの傍にいたい。


でも冷静な自分がこんな時でもちゃんといて、
自分が今帰ったところであまり役には立たないということも分かっている。
だから自分が日本に帰ったと思って、寄付金を送ることにしました。
ここに残って、ちゃんと働いて、スウェーデン社会から
お金をもらって、日本復興の寄付に、もしくは困った時に家族に、
それが今の自分にできる一番のことだと思う。
感情論も必要だけど、やっぱりお金も実際必要だから。


今は毎日母親からメールが届くようになりました。ちょっと安心。
どうでもいいことから、楽しいこと、不安なこと、
メールからも母親の感情が伝わってくる。
ガスがまだ復旧していないこと、石油がなくなりつつあること。
知恵をしぼって、ご近所さんと協力して、家を守っています。

父親は電車が止まっているので、貝ヶ森から北仙台駅まで歩いて
たぶん片道1時間以上はかかると思う距離を通勤しているらしい。
普段はそんなに歩くのが好きじゃないはずなのに
地域のため、他の人のため、働いています。

大学4年生の妹は仙台にはいないのだけど、
もうすぐある卒業式に脱袴宣言を友だちとして
リクルートスーツで参加するらしい。
それで浮いたお金を寄付に回すのだそうです。

友だちも、みんな不安を抱えながらも誰かのために頑張っている。
そして離れている私の心配をしてくれ、私の家族のことにまで
気を遣って、何でもするよ!と言ってくれる。

被災地から来るメールはいつもポジティブで
みんな頑張っているのが伝わって来ます。
自分も頑張らなきゃと思わされる。



でも一歩外に出ると、そこはもう普通の日常が流れていて
みんな何事もなかったように、笑っています。
そこに怒ってもしょうがないのだけど、辛くなる。
なんで自分はここにいるんだろう・・・。ギャップが大きすぎる。

でも、長期的な目で見た時に、自分が今ここにいることが
きっと何かの役に立つはず、焦って今、日本に帰るのではなく
ちゃんと時期を見ておかないと。今すぐは自分には何もできない、
けどこれから自分にもできることが見つかるはず。
だから焦っちゃダメ。。。。。


たまに、もっと感情的な人になれたらと思ってたけど
こういう時、冷静な自分の方が常に先に出てくる性格だから
今、こうしていられるのだと思う。しばらくは
理性的な自分に頑張ってもらわないと。


みんなと協力して自分にできることから始めよう。
終わりの見えない話だけど、今から少しずつ持久戦覚悟で
自分なりに頑張って行きたいと思います。
心配してくれたみなさん、ありがとう。私は大丈夫です!




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プロフィール
HN:
あっこ
年齢:
40
性別:
女性
誕生日:
1984/01/11
職業:
ランドスケープアーキテクト
自己紹介:
ストックホルム工科大学(KTH)での2年間の留学を経て、ランドスケープアーキテクトとしてストックホルムにて働いています。
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